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光の中を歩む

2023年12月24日 逗子第一教会 クリスマス礼拝宣教

 「光の中を歩む」ヨハネによる福音書8章12-20節

 世界で最初のクリスマスは、ライトアップされたツリーの輝きやネオンの光ではなく、主の栄光の輝きの中にあった。イエスはご自分を「わたしは、世の光です」と言われた。また、ヨハネの福音書1章ではイエスを「言」としている。「初めに言があった」言葉の中には命がある。その命は人間を照らす光だと聖書では語られている。

 私たちは言葉であるイエスの光に照らされなければ闇の中にいる。そしてヨハネの福音書1章9節では「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」とある。闇を消し去る光がこの地上に来た。その光であるイエスの誕生をお祝いするのがクリスマスである。

 しかし、光であるイエスを受け入れることができない人々もいる。ヨハネ1章5節に「闇はこれに打ち勝たなかった」とあるが、「闇はこれを悟らなかった」と訳すこともできる。つまり暗闇は光を理解できない。神の存在や働きは、人間の理性や常識を超えたもの。神の救いというものは人が理解できない方法でやって来る。

今日の聖書個所は、イエスを受け入れることのできないファリサイ派の人々とイエスのやり取りが語られている。彼らはどうにかしてイエスを逮捕できないかと考えている。なぜそのように考えたのだろうか。それは自分たちを差し置いて、イエスが群衆に聖書を教え、自分は救い主だと発言したからだ。イエスの発言に対して彼らは「あなたの証言は真実ではない」と言う。これは律法を元にしたもっともな意見である。

 しかし、イエスは「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です」と語られる。イエスは自分が何者であるかを知っている。しかし、私たちは自分がどこから来て、どこへ行くのかを知らない。だから、私たちがどこから来て、どこへ行くのかを知る必要がある。そのためには、私たちを造ってくださった聖書の神を知ることだ。

 神の子であるイエスは神の心をよく知っている。私たちはイエスを通して父なる神の心を知ることができる。そのイエスが教えていることは、私たちは神に造られ愛され、イエスを信じるなら神のもとへ行けるということだ。

 イエスは光である。クリスマスに全世界の人々へその光がプレゼントされた。光を受け取った者は闇の中から救い出される。イエスが来られたのは世を裁くためではなく救うためである。

 闇の中にいる私たちが、この救い主イエスの光に照らされるとき、そこに浮かび上がるのは良くも悪くも正直な自分の姿である。暗闇で気付かなかったものがすべて光に照らされる。それは神を神とせず、言葉によって人を傷つけ、人を赦さず、悲しみと怒りに満ちた姿かもしれない。

 しかし、その私たちの罪を照らす光は、同時にその罪の赦しを与えてくださる。イエスはあなたが滅びるのを決して望んではおられない。イエスは言われる。「神に愛され、わたしに愛され、天へとつながる永遠の命を受けてほしい」と。光であるイエスはあなたの心にそのように直接語りかけている。

 イエスの救いを信じ受け入れるとき、神は私たちを神の子としてくださる。そして聖霊によってイエスと一つになり、神と共に生きる新しい永遠の命に生かされる。私たちの行き着く先は喜びに満ちた神の国。だから、喜びと希望をもって生きることができる。

 天(ヘブン)を見上げてごらん。私たちの上にはイエスが光り輝いている。私たちの上にはイエスが光り輝いている。光であるイエスが私たちの歩みを一歩一歩と導き、人生のすべてをまことの光で照らしている。

 クリスマスに、イエスはこの世の光として来てくださった。12節に「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」とある(ヨハネ812)。

 世の光として来られたイエス・キリストを心にお迎えするなら、決して闇の中を歩むことがなく、命の光を持つ。神の約束です。

 

 このクリスマスにすべての人々に与えられた神からの愛のプレゼントを、あなたも受け取ってください。それはイエス・キリストによって与えられている恵みです。イエスの光に照らされ光の中を歩んでまいりましょう。