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つながる

2023年11月12日 逗子第一教会 召天者記念礼拝宣教

「つながる」 ローマの信徒への手紙13章8-10節
 日本では最近、葬儀のあり方が随分変わってきている。家族葬が一般的になっていて、「小さなお葬式」をキャッチフレーズにしたテレビコマーシャルもよく流れる。また供養の仕方も変わってきた。ご先祖の墓を守る人がいなくて「墓じまい」をする人が増えたという話はよく聞いていたが、今度は「仏壇じまい」をする人も増えてきたという新聞記事が載っていた。仏壇じまいをする理由はやはり継承者がいないということと置く場所がないということだそうだ。しかし、仏壇がなくなっても故人とのつながりを持ちたいと考えている人も多い、とあった。つながりを持つために写真を飾ったり、手元供養をするために少量の遺髪や遺骨をペンダントトップに納めたりして、故人とのつながりを大切にしているそうである。やはりつながりは持ちたいという思いは誰にでもあるのだなと思わされた。

 教会ではどうだろうか。今日は年に一回の召天者記念礼拝である。信仰の先輩である故人を想い起しつつ、神さまが故人を通してなされた数々の恵みの働きに感謝し、併せて遺族の方々の慰めと平安を祈る礼拝である。大切にしたいと思う。しかし、よく考えてみると実は年に一回だけの召天者を覚えての礼拝ではないのである。礼拝とは毎回、今朝もそうだが、天上で行われている礼拝とつながって、この地上でも同じ神さまを礼拝しているのである。日頃はそのような思いを持つことは少ないが、実はそうなのだ。イエス・キリストを通して、つながっているのだ。一言でいえば、すでに天に召された人も天において神さまと共にいて愛されて礼拝している。私たちも同じく神さまが共にいてくださり、神に愛されて礼拝している。愛によってつながっている。愛とはつながりなのだ。

 つながりと愛について、聖書から学んでみよう。キリスト教の倫理は、愛と自由であるといわれる。愛とは他者に対するあり方であり、自由とは自分自身へのあり方である。パウロは10節で「愛は律法を全うする」と言い、他者を愛することがどれほど大きい意味を持つかを強調している。もともと律法は、他者との関係にいくつかの「~するな」との戒めを持っている。パウロはここ9節で「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」などを取り上げている。それらの「~するな」に対して、愛は「~しなさい」と結ぶ、肯定的な前向きの戒めである。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」を肯定的に前向きに捉え直せば、「隣人を愛しなさい」と一つになる。その意味を捉えて、パウロは、「愛は律法を全うする」と言っているのだ。

 しかし、「愛する」ことは義務ではない。「だれに対しても借りがあってはなりません」とはその意味である。「愛する」とは、結果として温かい他者との関係を作り上げるものだ。もし義務で他者を愛するなら、冷たい人間関係が残るだけだろう。

 マザー・テレサは「愛情の反対は、憎しみではなく『無関心』」と言っているが、本当に無視されることほど、人間の尊厳が大きく傷つくことはない。『そんなの、関係ねえ』というフレーズが昔はやったことがあったが、現代の日本人は自ら関係を絶つことを望むような傾向にあるように思われる。隣近所の付き合いからはじまって、地域のつながり、職場の付き合い、親戚との付き合い、友だちとの付き合い、様々な付き合いをわずらわしいものと思うような傾向がないだろうか。そのようにして自ら関係を絶っていくことにより、ますます孤立感を深め、人間不信を増長させ、さらに自分自身をも傷つけていく。最後は自己否定へと陥ってしまうということになっていかないだろうか。「だれでもよかった」という殺人容疑者の供述はそのことを物語っているように思う。関係性の喪失の悲劇である。

 では、教会はどうだろうか。教会の中心は礼拝である。そしてその礼拝から地域、社会に出ていくことが求められる。集中と拡散。この繰り返し。教会は置かれている地域につながることが求められる。開かれた教会とは、地域と開かれた関係性をつくっていくこと。何でつながるのか?金でつながる。そんな金は教会にはない。教会にあるのは「愛」。愛のつながりである。地域に仕える教会として、愛のつながりをつくることが求められている。先月、連合の壮年会で、「壮年のつどい」を開催した。テーマは「地域に開かれた教会、地域に仕える教会、地域と協働する教会」。事前にアンケートを取ったところ、実にいろんなことを地域に対しておこなっていたことが報告された。愛のつながりを実践し、地域に仕えておられた。

 

最後に、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが残されたメッセージを紹介したい。彼女はカトリック信者でした。「難民問題は私の高等弁務官時代より量・質ともにより深刻になっている。重要なことは苦しんでいる人々に関心を持ち、思いを寄せ、行動をとることだ。人々が互いを思いやることこそが、人間の最も人間らしいところだと思う」。「思いやる」、これはつながる第一歩ではないだろうか。隣人に対し、地域に対し思いやる心をもってつながって行こう。