· 

安息日の意義

2023年4月23日 逗子第一教会 主日礼拝宣教

「安息日の意義」出エジプト記20章8-11節

 旧約聖書の出エジプト記には、神が預言者モーセに与えた約束、すなわち十戒がある。十戒という字面から、一般的には厳しい律法の掟として敬遠されるかもしれないが、イスラエルの民にとっては命がけで守るべき神との約束だった。というのも、彼らはかつてエジプトで奴隷として過酷な労働を強いられて、そこから神によって奇跡的に助けられる経験をしたからである。自分たちを救い出してくれた神との契約を結び、そのしるしとして、十戒を守る約束をしたのだ。だから、十戒というのは掟ではなく、むしろ救いの神に対する信頼の表明、あるいは応答と言ってもよい。

十戒の冒頭では、「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」と神による救済が宣言されている。これに応答して、イスラエルの民は十戒を守ることを約束する。私たちだって、例えば本当に苦しい時、いろいろと助け励ましてくれた方がいたとしたら、「あの人に対して足を向けては寝られない」とか「一生かけて、あの人に恩返しをする」とか言いますね。いくらでもある話だ。

 この十戒の中に、安息日についての戒めがある。第四の戒め。「安息日を覚えて、これを聖別しなさい。」で始まる戒めである。安息日にすべての仕事を休み、神を礼拝しなければならない。ユダヤ教では土曜日とされている。キリスト教では主の復活された日曜日を主の日として再解釈して、教会で礼拝をしている。  

 さて、安息日について、「これを聖別しなさい」と命じられている。「安息日を聖別する」とは、言い換えると「時間の聖別」である。ヘッシュルというユダヤ教の学者がこのことを強調している。「安息日は自分の時間ではなく、創造主なる神のための時間です。人間は神によって創造され、命を与えられた存在だからです。だから6日間働いて、7日目の安息日には日常の仕事をやめ、神にお返しをする」。時間に追われ疲れ果て、時間を自分のものだと思い込んでいる現代人にとっても襟を正される思想ではないだろうか。

 安息日のことをヘブライ語で「シャバート」と言う。これはもともと「止めること」「放棄すること」を意味する。だから、安息日は文字通り仕事を「止めて、休む日」。「7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」のである。つまり、安息日は人間の行動を制限し、労働を中断させることを意味する。目まぐるしく変化していく現代の社会において、休むことの意義は大きいものがある。疲弊して倒れこむ前に休む。一度立ち止まって、来し方を見つめ直す。休むことは心身のリフレッシュになり、英気を養うことにもなる。そのように休むことを積極的にとらえ直したいと思う。

 私たちはふだん時間は自分のものだと考えている。自分の時間を支配するのは自分自身だと。けれども、人間は時間を支配することはできない。自分で支配しているように見えながら、実はそうではない。神から与えられた時間を管理しているだけである。私たちは時間を止めることはできない。寿命を延ばすこともできない。どうあがいても、人生にはいつか必ず終わりが来る。だから、時間はもともと神に属するものだというほかない。

 安息日が来るごとに、神から時間をお借りしていることを思い出し、時間を神にささげる。安息日はそのように自分の時間を神に返す日だ。そういう意味で、安息日を聖別することは神の創造の秩序に属する事柄だと言えるだろう。

 「目標達成」「生産拡大」「経済効率」……。そういう言葉が無条件で肯定される現代において、安息日を守ることは、社会に背を向ける態度を私たちに迫るが、時にはあえて仕事を止める、中断する、断念するということも必要なのではないだろうか。

 こうして聖書は経済至上主義にも疑問を投げかける。仕事を中断することで不利益を被ったり、まわりに理解されないこともあるかもしれない。けれども、そういう経験もまた大事なことではないだろうか。こうして労働に疲れた私たちに、十戒の第四戒は慰めを与えてくれるだろう。

 旧約聖書では安息日のほかに、「安息年」と呼ばれるものもある。七年目に畑を休耕し、奴隷を解放するのだ。これは畑を一度自然に戻すことになり、生態学的にも重要なことであって、現代の地球環境保全の思想にもつながる。

 さらに、旧約聖書では50年目は「ヨベルの年」と呼ばれて、すべての債務が帳消しにされる。債権者が債権を永久に放棄するのだ。ありそうもない理想的なきれい事のように思われるかもしれないが、この破格の、そして一方的な赦しがキリストの十字架の愛を想起させる。

 

 キリストは「受けるより与える方が幸い」であると言われた。これにならって、ただ何かを得ることだけを目指して生きるより、何かを放棄する、与える生き方の方を考えてみたいと思う。そのことをすべて神からのチャレンジだと感謝して受け止め、祈りつつ励もう。