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キリストにおいて一つとなろう

2023年1月1日 新年礼拝宣教

「キリストにおいて一つとなろう」マタイによる福音書16章13ー20節

 私たち人間はいろいろな問題に悩まされる。悩みの中で疑問や迷いを抱き、問いを持つ。しかし今朝、聖書を読むと、人間は問うだけではなく、問いかけられてもいるということがわかる。誰に問いかけられているのか。神が私たちに問われるのである。主イエスを通して神が私たちに問うている。そしてこの神の問いかけに答えることが、人間のいろいろな悩みや問題の根本的な答えになるのである。神のその問いかけとは、「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」という問いである。主イエスはそう問いかけられた。ここに実は人間にとっての「最大の問いかけ」があると言ってよい。聖書はその問いかけのために書かれているといってもよいだろう。神は聖書のみ言葉を通して、我々に問いかける。神とは何か。あなたは神をどう受け止め、どのように理解するのか。そしてその問いは、今度は逆転して、ではあなたは何者か、どんな存在か、と問うてもくるのである。人間とは何か。人間とはどんな存在なのか。

 人生には確かにいろいろな問題がある。トラブルがあり、悩ませられることが様々起こる。そして私たちは自分を見失い、進むべき方向を失い、他者ともうまくやっていけなくなる。しかしその時にも、この最大の問いかけ、「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか」という問いかけを聞き、この問いかけに答えながら生きるとき、人間は真実に生きることが出来るのである。絶対者を前に、相対的な存在である我々はどう生きるべきか示されるのである。

 主イエスの「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という、この問いに弟子のシモンは答えた。「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です」。そう答えたシモンを主イエスは「岩」だ、ペテロだと叫んで、「その上に私の教会を建てる」と言われた。

今朝、皆さんは教会の礼拝に集まって来られた。それは、実は「岩の上」に来たのである。教会はその岩の上に立っている。それはまたどんな問題や悩みの中にあっても私たちの人生を真実に生きることの出来る「岩」である。その岩とは「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です」という、主イエスに対する信仰告白である。これが教会の土台であり、また私たちの人生の土台なのである。

 主イエスは言われた、その岩の上に「私の教会を建てる」。教会(エクレシア)という言葉は、呼び集められた者の集会、あるいは群れ、という意味。主イエスは弟子たちをご自分の周りに呼び集められた。十二弟子を選んだということは、神の民であるイスラエル十二部族を象徴して、選んだのである。神の民が新しく建てられ、集められるために主イエスは来られ、十字架にかけられた。 

 「あなたはメシア(キリスト)」、そうお答えする時、私たちはそのメシアの民とされる。新しい神の民とされる。「あなたはメシア(キリスト)」、そうお答えする中で、私たちは罪を赦され、愛の破れを癒される。死んだような生き方から、生き生きとした人生へと、変えられていく。そうお答えする中で、私たちは真のクリスチャンにされていく。キリストに結ばれ、死と罪から解放され、天の国へと通じる存在にされていく。私たちも答えようではないか。「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子」と。そう答えることができる。天の父がそれをできるようにしてくださる (17)。神は私たちがそう答えることを喜んでくださる。

 

 逗子第一教会は今までもそうであったように、これからも「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です」と、大胆に信仰告白していく群れとして、今年も祈りをあわせ、キリストにあって一つになって歩みを進めていこう。