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人生の再解釈

2022年10月30日 主日礼拝宣教

「人生の再解釈」 詩編22編2‐22節

 詩編22編は人間の苦悩とは何か、一体、信仰者はどういうことに苦しむのかをよく言い表している。それは死の苦しみの呻きだろうか。この詩人は今ひどく不安に襲われている。死の病に取りつかれ、熱と苦痛、そして不安のために身の置き所がない。その上、周囲の人々が、彼を苦しめる。「わたしは虫けら」「人間の屑」「わたしを見る人は皆、私を嘲笑い」とある(7-8節)。彼は苦痛の中にあって、しかも孤独。「助けてくれる者はいないのです」(12節)と嘆いている。

そのような中にあって、この詩人は苦しめる最大のことは、病の苦痛でもなく、また人間の非難や中傷でもなく、それは「神に見捨てられること」と語っている。ここで詩人は、何よりも深い苦しみは、神に見捨てられること、神が私たちの嘆きの言葉から身を背け、遠くにいて、身を向けてくれないことだと言う。それが人間を絶望の淵に落としていく。

 しかし、この詩人は、その絶望の中でなお「わたしの神、わたしの神」と呼んでいる。それは、絶望の中でなお神を信じ、神に信頼を寄せているからである。なぜ、そんなことができるのか。それは、「母がわたしを身ごもった時から 私はあなたにすがってきました。母の胎にある時から、あなたはわたしの神」だから、と詩人は告白している(11節)。詩人はここでこれまでの自分の歩みを振り返っている。さらに、自分の先祖の歴史をも想い起してもいる(5-6節)。そして、そこに示された神の憐れみを想起しているのである。神は憐れみの神であり、愛の神であり、いつも共にいて、決して見放さないお方であると、先祖の歴史から、自分の生い立ちまでを振り返って、想い起こしているのである。そのことがこの詩人を支えている。

 だれでも自分の人生を振り返ることができる。自分だけではなく、両親さらに祖父母とさかのぼって想い起すことができる。NHKテレビで「ファミリーヒストリ―」という番組がある。有名人が出てきて、その先祖を調べて、本人までの歴史を再現していく(本人が知らなかった過去もたくさん出てくる)。有名人もそれを見て、今現在こうして生きている、生かされているのは両親を始め先祖の歴史があってのことだと、いまさらながら感慨にふけり、大抵涙しながら感想を述べる。あらためて自分の人生を捉え直しているのである。そのように私たちも自分の人生を再解釈することができる。解釈し直して、正しく理解することができる。

 

この22編の詩人は、「わたしを母の胎から取り出し、その乳房にゆだねてくださったのはあなたです」と告白しているように、神の存在、神の働きの中で自分がこうして生きている、生かされている、と再解釈している。このように誰でも自分の人生を神の愛、神の憐みを想起して、再解釈し、受け取り直すことができる。それは、神さまと出会い、神の愛を受け入れ、神の救いを信じることから起きてくる。そこから、神への感謝と賛美が生まれ、生きる力が与えられていく。