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根っ子は大事

2022年4月24日 主日礼拝宣教

「根っ子は大事」コロサイの信徒への手紙2章6‐7節

教会の昨年度の標語は「キリストに向かって成長しよう」。聖句は「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます」(エフェソ415)である。どこに向かっていくかは極めて大事。皆さんはどこに向かって今日を生きていますか。ここでは「頭であるキリストに向かって」とはっきり書かれている。そして、「頭であるキリストに向かって成長」するためには、「愛に根ざして」と書かれている。これはもちろん、神の愛に根ざして、ということ。だから、神に根ざして、キリストに根ざしていくことが示唆されている。キリストに根を張って、命の源である、生きる力をキリストからいただいて、ということである。

そこで今年度は、標語を「キリストに根ざして成長しよう」にした。聖句は「キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」(コロサイ27)が与えられた。           

 このコロサイの信徒への手紙は、パウロがコロサイの教会の伝道の困難に直面していることを聞いて書かれたものと言われている。コロサイは現在のトルコ西部の町で、東西交通の要衝にあたり、異教的な影響の強い土地だった。コロサイの教会にはそれこそ様々な人種・階級の人たちがいた。ギリシア人に、ユダヤ人、奴隷もいれば自由な身分の者もいるといった状態だった(311)。秩序のない雑多で混乱している状況に対して、パウロは福音の真理とは何かを正面から明らかにしようとしている。そのキーワードが「御子はその体である教会の頭」(118)であり、「キリストの体である教会」だった。昨年度の聖句にも「頭であるキリストに向かって」とあるように、キリストは教会の頭であり、教会の体である。

パウロにとって、教会はキリストの体である。しかしながらコロサイの教会は種々雑多な人々の集まりで、中にはキリストの体にしっかりと結びついていない者も多くいた(219)。だからキリストの体にしっかり結びつくようにと、いろいろと言葉を変えて、諭し、勧め、励ましている。今日の聖書箇所の6節の「キリストに結ばれ」とか「キリストに根を下ろし」がそれである。コロサイの教会のようなことは、異教の地にあり、小さな群れである日本の教会やクリスチャンでも起こり得ることである。サタンは巧妙にやってくる。今一度、信仰生活のあり方、キリストに堅く結びついた生活、キリストに根を下ろした生活の有り様について今日与えられた聖書から考え、整えられていきたいと思う。

信仰生活というものは、一度主イエス・キリストを受け入れたら、それでもういいのではない。バプテスマを受けたから、もう天国に行けるというわけでもない。むしろ、信仰生活のスタートである。それから成長していかなければならない。その時、キリストに堅く結びついた歩みが大切である。それは具体的に「キリストの体である教会」に堅く結びついた信仰である。キリストに堅く結びついた信仰生活のみが、私たちを天の父なる神にいたらせる道である。

 キリストにある生活とは、「キリストに根を下ろした」生活である。キリストの大地に深く根をはり、キリストから霊的栄養分である命と力を受け取ることである。そうすることによって「あらゆる善い業を行って実を結ぶ」(110)ことが出来るのである。

 それでは具体的にどのようなことを心がければいいのだろうか。そのために最も大切なことは、静かに神からの呼びかけを聞くことである。聞くこと、そのことは静的で受け身であり派手さはないが、そのことを主体的に、自覚的に、能動的に行うことが大切である。毎日の生活の中で、祈りとみ言葉の傾聴と黙想を主体的に、自覚的に、能動的に行うことが大事である。

 皆さんも生き生きとした信仰生活を送りたいですよね。そのためにはこの主体的、自覚的、能動的な祈りとみ言葉の傾聴と黙想が極めて大事である。そこから始まる。それと正比例して生き生きとした信仰の歩みがあり、信仰の確立があり、感謝が湧き出てくるのである。だから「あふれるばかりに感謝しなさい」(7節)と勧められているのである。一日のうち5分でも10分でもいい。できたら同じ時間で行い習慣化しよう。一日一章、そして短く祈る。そこから始めてみよう。

 

 キリストにしっかりと根ざし、そしてキリストからしっかりと生命と力の栄養をいただこう。そのことによって、一人ひとりが成長させられ、やがてその一人ひとりが肢体である教会が成長させられていく。私たちの救い主イエス・キリストによって、それはなされていく。それは神の約束である。