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荒野に希望を見る

2022年4月10日 レント第6主日礼拝宣教

「荒野に希望を見る」申命記2章7節

 もう20年以上前の話になるが、私が福岡の西南学院大学の神学部にいた時、福岡市の干隈にあった神学部が本学の西新キャンパスに移転することになった。その時発行された記念誌に編集委員として関わったが、その記念誌に「神学部は荒れ野だった」という体験や思い出が多く書かれていた。しかし、皆さんがその荒れ野を懐かしみ、素晴らしいところであったと振り返っておられる。不安や苦しかったこと、自分の信仰との葛藤などいろいろあったにもかかわらず、荒れ野において多くの恵みをいただいたということであろう。それは何も神学生ばかりではない。

 今日の聖書箇所の申命記27節には、主なる神の40年間にわたる荒野でのイスラエルの民との関わりが記されている。これは、神との関わりにおけるイスラエルの民の総括の言葉である。

荒野は恐ろしいところだ。食べ物や水が不足することが当たり前のところ。昼は暑く、夜は寒い。恐ろしい蛇、動物、虫がいる。そして思いがけないこともまた起こる。そのような中にイスラエルの民は40年居た。「この四十年の間」とあるが、40年は古代にあっては人の一生の長さだった。彼らにとっては長い期間だったであろう。

 ここには記されていないが、他の聖書の箇所を参照すると、荒野にあって、イスラエルの民は、信仰的というよりは、不信仰、あるいはつぶやきの多い民だった。出エジプトという救済の恩をすぐに忘れる、かたくなで傲慢な民だった。にもかかわらず、神はそのような民を見捨てずに、共にいてくださった。それのみならず、イスラエルの民のなすその手の業を祝福して下さった。「あなたの手の業をすべて祝福し」とある通りである。

なぜ、神は、このような出エジプトの恩をすぐに忘れるかたくなで傲慢な民を見捨てなかったのだろうか。それは、この神の本質が愛だからだ。たとえ人々の不信仰と反逆があったとしても、それで神が異なる神に変身するわけではない。自らの燃える怒りに「否」を言って、愛に留まり続ける愛の神である。先日、お話したゼカリヤ書106節の「わたしは彼らを憐れむゆえに連れ戻す」という神の無条件で一方的な憐れみである。それ故に、イスラエルの民は、神の本質について、繰り返し告白してきた。たとえば、詩編に次のような聖句がある。詩編1038節。「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。」 

 先ほどの申命記27節に「この広大な荒れ野の旅路を守り」とあるが、この「守り」と訳されている言葉はヘブライ語で「ヤーダー(知っていた)」である。直訳すると、神は民の、その歩みを全てご存知であった、となる。ここには、人に最大限の自由を与えつつ、見守っておられる神の姿がある。

 さて、私たちの聖書(新共同訳)には、この40年間「あなたの神、主はあなたと共におられたので」とあるが、原文のヘブライ語聖書においては、「おられた」という動詞はない。原文は、「あなたの神、主はあなたと共に」とあるだけ。「おられる」はない。何もないのである。だから、申命記27節は、見えていないものを見ているのだ。ないものにあることを見ているのだ。

 ここで話は記念誌に戻るが、記念誌にKさんの「なんにもなかった」という題がついている文章がある。Kさんはキリスト教人文学コースで学ばれた方でクリスチャンではないが、干隈での神学校生活がどのような荒野であったかを語っている。「神学部には、本当になにもなかった。賑やかな食卓も、刺激的な音楽も、洒落た服装で私をうらやましがらせる人も、豪勢な海外旅行の話も…。今だから正直に言おう。私はあまりの侘しさに、泣きそうになることがたびたびあった。……この原稿の依頼をいただく少し前から私は、ひとつのことが気になり始めていた。なんにもない場所にしか存在しないものの存在、についてである。

 確かに、神学部でのあの四年間、干隈というなんにもないあの空間には、ただ者ではない何かがあった。それがいったい何だったのかはいまだに分からないが、それ以前もしくはそれ以後に経験した、どの時間ともどの空間ともそれらは明らかに異なっていた。……なんにもない中に存在していたとてつもない力とはいったい何だったのか、そこに向かって、哀しいあがきを繰り返しているに過ぎないのかも知れない。」

 

 以上です。私たちもまた、時として、Kさんのように、ないもの、見えないものと格闘することがあるだろう。即ち、荒野を経験することになるということだ。しかし、荒野で格闘することは悪いことではない。なぜなら荒野には、希望も潜んでいるからだ。イスラエルの民たちは、ないものにこそ、見えていないところにこそ、荒野の40年の祝福の源、その根源を見ていた。何という、不確かさに確かさを見ていることだろうか。目には見えないけれど、この四十年の間、「共におられた」と告白をしている。そこに祝福があり、守りがあり、何一つ不足しなかったと。