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勇気を出しなさい

 

2019年8月4日 逗子第一教会 主日礼拝宣教 杉野省治

 

「勇気を出しなさい」 ヨハネ福音書16章25~33節

 

「勇気」は必要ないという人がいるだろうか。私たちは誰もが勇気を必要としている。誰にでも「生きる勇気」が必要だろう。どんな時にも自分を失わず、自分自身であり続けるには勇気が必要である。人生は時に不愉快な思いをしたり、傷つけられる経験をする。しかしそれに耐えて自分を見失わず明るく生きるにはやはり勇気が必要だ。まして現代は決して明るいとはいえない。リストラで失業が増え、先行きの見通しの立ちにくい時代。荒々しい殺人や思いもしない事件の起こる時代である。報復と報復の争いがエスカレートしている。そのような時代にあっても真の生き方を求めていくには勇気が必要である。真の家族として生きるにも、意味ある仕事をするにも、年老いることにも勇気が必要。主イエスから「しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」と言っていただく必要がある。

 

 「勇気を出しなさい」と言って下さるのは、主イエス・キリスト。その時、主イエスは「しかし」と言われる。「しかし」と言わなければならない現実を主はよくご存知なのだ。「あなたがたには世で苦難がある」こと、そして私たちがその苦難に対して決して強くないことを主は知っておられる。よく知っておられるからこそ、「しかし、勇気を出しなさい」と言って下さるのである。さらに「私はすでに世に勝っている」ともおっしゃって下さる。

 

 主イエスは、私たちにそもそも「世にあって苦難」を経験することを避けよとはおっしゃっていない。「あなたがたには苦難がある」と言われる。苦難を受けることは避けられない。世にある人類の苦難に信仰者も教会もあずからなければならない。病があり、争いがあり、試練がある。家族や友人が苦難を受ければ、私たちもそれを避けるわけにはいかない。逃げ出すことは出来ない。問題は「世にある苦難」の時、それだけでなく、同時に「主の勝利」にあずかっているかということである。そして「世の苦難」にあっても同時に「主に結びついた平和」があるかということである。主イエス・キリストの十字架に示された愛と力の勝利にあずかっているかである。苦難がありながらも、同時に主の勝利にあずかっているなら、そこに勇気が湧くのである。

 

 「主の勝利」があるということはどういうことか。主イエスは「私たちのチャンピオン」だと言ってもよいと思う。大江健三郎さんがある本の中で、彼が高校一年生の時、英英辞典を見ていたら、チャンピオンという言葉の説明で、ある人のために代わって戦ったり、ある主義主張のために代わって議論する人とあり、この説明に何かしっくりするものを感じた、ということを書いている。それで早速私も英和辞典で調べてみた。確かに説明の2番目に「人のためや主義のために戦う闘士、戦士」とあった。例として、a champion of liberty自由の擁護者、a champion of the poor貧者の友とあった。「ある人のために代わって戦う」「大切なことを他の人の代わりにやる役目」、そういう戦いや役目があるのだ。これは大江健三郎さんではないけれども、何かしっくりするもの、ホッとするものを感じさせる。そういうものがあるのが本当の人生だという思いがする。このチャンピオンの定義は、キリストが私たちのために戦ってくださった戦いに通じるものがある。キリストは私たちのために代わって戦ってくださった。それが主の受難。それが主の十字架。そして私たちのために勝利してくださったのである。キリストは私たちのチャンピオンである。「私はすでに世に勝っている」とはそういう主のみ言葉ではないだろうか。

 

 勇気を出すとは、主イエスの勝利にあずかること、主イエスの中に神を仰いで、主イエスを信頼すること。主イエスを信じ、その勝利を信頼し、その中に自分の身を置いていること。主イエスを私のチャンピオンに、私の主にしていること。そこに勇気が出ることも含まれている。信仰とは、別にもう一つ勇気を出すことが求められているのではない。そうではなく、主イエスを「わが主」と信じる、そして主イエスに結ばれて生きる。そこにすでに勇気は始まっている。信仰の中にすでに勇気が含まれている。

 

 宗教改革者ルターはこの「勇気を出しなさい」という箇所を「慰められていなさい」と訳した。勇気とは「主によって慰められていること」「主に慰められて生きる」ことである。「勇気を出しなさい」というこの言葉を聖書の他の箇所では「安心しなさい」とも訳している。「安心しなさい、恐れることはない」「安心しなさい、立ちなさい」(マルコ6:50,10:49)。この「安心する」が勇気である。主イエスによって安心し、元気を出す。それがキリスト教的勇気である。主によって安心すれば、誰でも立ち上がることが出来る。元気がでる。

 

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(33)