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互いに助け合う愛

 

2019年6月9日 逗子第一教会 ペンテコステ礼拝宣教 杉野省治

 

「互いに助け合う愛」 創世記2章4b~25節

 

 今日の聖書箇所は二つ目の天地創造物語だが、最初の人(アダム)が登場する。「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(27)とある。人間の呼吸の息は神から吹き込まれている「命の息」であり、造られたときのみならず、今も続く人の命と神との関わりを表現している。それは神によって生かされているということである。

 

 さらに、神はアダムをエデンの園に連れて行き、そこを耕し、守るようにされた(215)。人はただ生きるのではなく、世界を守り育てる「役割」を負うのである。神は、一つの約束を与え、すべてを彼の手に委ねた(21617)。アダムは生き甲斐を得て、満ち足りた生活をしたことだろう。

 

 ところが、彼は一人ぼっちである。広いエデンの園に、一人ポツンと生きていた。人間は孤独には耐えられない。神は言われる、「人が独りでいるのは良くない」(218)。そこで神は、人がその役割を互いに協力し助け合うよう、その仲間を見つけ出すようにされた。結局、その協力者は「人のあばら骨」から造られた。人以外の誰でもなかったのである。

 

 こうして、アダムは自分にピッタリの協力者を見出す。彼は喜びの声をあげる。仲間、パートナーを見出したアダムの気持ちは、孤独の寂しさ、悲しさを味わっている者ならば、誰でも分かるのではないか。

 

 神は人を男と女にお造りになった(127)。またこの二つの性には「彼に合う助ける者」(218)という関係があるように造られた。夫婦はそれぞれベターハーフであると言われるが、ベターハーフとはより良い半分と言うことだから、半人前ということになる。その関係だと自分に足りないところを相手から奪おうとするかもしれない。「愛は限りなく奪う」という映画があったが、結婚は奪い合う関係ではいけない。ただ自分の満足のために相手に求めていくとき、その結婚は持続しない。少なくとも充実したもの、幸福なものとはならない。これは夫婦関係だけではなく、広く一般の人間関係にも言えるだろう。

 

さらに神は男であること、女であること、それぞれを祝福の対象として造られた(:28)。その意味では、それぞれの存在はベスト・ワンということである。ベスト・ワンとは最善の自分のことだから、「彼に助け合う者」とは最善の自分を相手の必要のために用いるという意味になる。「愛は限りなく与える」ものである。長い人生を共有して生きる結婚生活は、互いに助け合うことなしには成立しない。そのためには相手のために自分がどうあればよいかが問われる。その自分は常に最善の自分でなければならない。このことは、私たち人間関係の基本ではないだろうか。

 

人は、一人では生きることができない。隣人と共に生きるよう造られている。その時、互いに助け合うことが求められる。「お互い様」である。そのためには常に相手のために自分がどうあればいいのか問われる。それは相手を受け入れていくことから始まる。相手と対話し、交わり、理解し、相手を受け入れることなしに、相手のために自分がどうあるべきか考え、それを実践するとき、それは時として押しつけ、ありがた迷惑になる。結局独りよがりな押しつけ、傲慢である。

 

相手を理解し受け入れること、それは大変難しいことだが、それなしには始まらない。「得るよりも与えることが幸いなり」と聖書にあるように、相手を受け入れて、そして与えることこそ幸いなりである。そのような与える人生にこそ生きる道がある。これが聖書が一貫して私たちに送るメッセージである。