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礼拝によって生きる

2019年4月7日 主日礼拝 杉野省治牧師

「礼拝によって生きる」 ローマの信徒への手紙12章1ー2節

 

 私たちは一週間のほとんどをこの世の中のただ中で生きている。そして、その生活の中で、「まあこのくらいなら……」とか「誰でもやっていることだから……」というセリフに私たちはどんどん流されていく。この世の人間関係とこの世の論理と習慣が生む圧倒的な圧力の中で生きているのだから、それに流されてしまうのはむしろ当然だといえるだろう。そして、事実、流されてしまうほうが気楽なのだ。人間関係における波風も立たず、余計なもめごとも少なくてすむ。むしろ、そういう人のほうが、周囲からは「モノの分かった人間」と言われたり、「オトナ」だということになる。

 

 しかし、主イエスはそのような小賢(こざか)しい「オトナ」が神の国に入るのではなく、「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10:15)と言われた。また、パウロはこのロマ書で「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」(12:2)と記している。口語訳聖書では「この世と妥協してはならない」とも訳されている。

 

 パウロが生きた時代、そして初期のキリスト教徒たちが生きたローマ帝国の時代は、信仰を持って生きていこうとする人々にとって非常に困難な時代だった。そうした困難な問題の本質的な部分は現代においても変わっていない。すなわち、それは弱肉強食の時代であり、力ある者が力のない者を支配する時代であり、主イエスが言われたように「異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている」(マタイ20:25)。そうした世界の中で、主イエスは続けて「しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない」と言われた。パウロも「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」と言うのである。

 

 では、そのような時代の中でキリスト者たちはどのように生きていたのだろうか。貴重なそして興味深い資料がある。紀元110年頃、ローマ帝国の一地方総督であったプリニウスがローマ皇帝トラヤヌスに送った手紙。それには次のように書いてある。「彼ら(キリスト者)は一定の日、日の出前に会合し、交わりに神としてキリストに讃美を歌い、誓いを立てて相団結するを習わしとす。斯くするは罪悪を犯さんが為に非ず、窃盗、盗賊、姦淫を行わぬこと、約に背かぬこと、預品の返却を求められし時之を拒まぬことを誓うなり。この事実果てなば別れて復た相会して食事をなす、この食は害なき常の食物なり。……」(『基督教史』)

 

 キリスト者が守っていた特定の日の集いとは日曜日の早朝の主日礼拝のことであり、外部の者から見れば、それは大して面白そうもなく、平凡な集会だったような印象を受ける。また、ここから知られる当時のキリスト者の生活ぶりにも特別きわだった特徴があったようには思われない。キリスト者はそれぞれの地域、それぞれの社会の中で生活していた。住む場所、語る言葉、食べる物、それらはみな地域社会の人々と基本的に同じであった。

 

 けれども、すべてがすべて同じだったわけではない。初期のキリスト者たちは、軍隊をはじめとして、キリスト教信仰に一致しないとみなしたいくつかの職業にはつかなかった。またキリスト者は、ローマ帝国で行われていた「皇帝を神として礼拝せよ」という命令に従わなかった。そのため、何度も迫害の対象とされ、逮捕された者、拷問された者、そして処刑された者が出た。キリスト者は、人間と人間、また人間と獣を闘わせるような見世物に反対し、その頃広く行われていた捨て子や子殺しを認めなかった。その結果、キリスト者は世間からはつきあいにくい連中とみなされ、誹謗中傷されるということもしばしば起こったのだ。

 

 しかし、次のような記録もある。古代のあるキリスト者が残した記録。「私たちの間には、自分の信じる宗教の長所を言葉で説明することのできない無学者や労働者や老婆などがいるが、彼らはそれを行為にあらわしている。彼らはなんの演説もしないが、善い事を実行している。打たれても打ち返さない。物を盗まれても訴え出ない。彼らは求める者に与え、隣人を自分自身のように愛している」(『世界キリスト教史物語』)。

 

 このような名もないキリスト者たちの黙々とした信仰生活の積み重ねのゆえに、強大なローマ帝国が滅び去った後も、キリストの教会は歴史にその姿をとどめ続けることになったのだ。彼らはその時代と社会の中に生きながら、それに流されるのではなく、その世界を変える「パン種」となったのだ。では、初期教会の時代だけが特別だったのだろうか。初期のキリスト者だけが特別優れた人々の集まりだったのだろうか。私にはそうだとは思えない。

 

 真の問題は、どの時代のキリスト者であれ、神との出会いをどれほど真剣に受け止めるのかということにかかっているのだと思う。そして、その出会いの場として、キリスト者の人生の原点としての礼拝をどれだけ真剣に守るかにかかっているのだと思う。

 

 迫害が強まれば強まるほど、初期教会の人々は真剣に礼拝を守った。礼拝に出席することが命がけという状況の中で、人々は神を讃美し、祈り、御言葉にあずかり、そして主の晩餐を守ったのだ。彼らは礼拝の中で、今吹き荒れている迫害の嵐が永遠に続くものではないことを学び、この世に妥協することなく、やがて来るべき神の国を真剣に待ち望み、日々の生活を信仰によって生きたのだ。

 

 しかし、彼らもまた人間としての弱さを持っていたはずだ。だからこそ、かえって主日礼拝を重んじ、礼拝の中で自分の弱さや愚かさや醜さを告白しつつ、神からの支えと慰めを祈り求め、また互いの交わりにおいて励まし合い、一日一日を生きていく力を得なければならなかったのではないだろうか。神を真実に礼拝するということは、パウロが言うように「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(12:2)ということである。私たちキリスト者は、この世に流され、この世に変えられてしまうことによって生きるのではなく、私たちを新たにしてくださり、この世を新たにしてくださる神を信じる信仰によって生きるのだ。この原点を代々のキリスト者は主日礼拝を守ることを通して学び、教え、受け継いできた。私たちもまた、それに続く者として、礼拝によって生きていく者でなければならない。